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静岡地方裁判所富士支部 昭和59年(タ)14号 判決

原告(反訴被告)

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

渡邊丸夫

被告(反訴原告)

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

谷智恵子

右訴訟復代理人弁護士

村松昭夫

主文

一  原告(反訴被告)と被告(反訴原告)とを離婚する。

二  原告(反訴被告)と被告(反訴原告)間の長男一郎(昭和四五年一月三〇日生)、長女かず子(昭和四六年七月一九日生)、二女つぎ子(昭和四七年一〇月二五日生)、二男二郎(昭和五五年一一月二八日生)の親権者をいずれも原告(反訴被告)と定める。

三  原告(反訴被告)は被告(反訴原告)に対し、金七〇〇万円を支払え。

四  被告(反訴原告)のその余の反訴請求を棄却する。

五  訴訟費用は、本訴について生じた部分は被告(反訴原告)の負担とし、反訴について生じた部分はこれを三分し、その一を原告(反訴被告)の負担とし、その余を被告(反訴原告)の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

(本訴)

一  請求の趣旨

1 主文第一、二項同旨

2 訴訟費用は被告(反訴原告。以下「被告」という。)の負担とする。

との判決

二  請求の趣旨に対する答弁

1 原告(反訴被告。以下「原告」という。)の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

との判決

(反訴)

一  請求の趣旨

1 主文第一項同旨

2 原告は被告に対し、三五〇〇万円を支払え。

3 訴訟費用は原告の負担とする。

との判決

二  請求の趣旨に対する答弁

1 被告の反訴請求を棄却する。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

との判決

第二  当事者の主張

(本訴)

一  請求の原因

1 原告は、昭和四四年五月二三日、被告(旧姓乙野)と婚姻の届出をなした。

2 原被告間には、昭和四五年一月三〇日長男一郎が、昭和四六年七月一九日長女かず子が、昭和四七年一〇月二五日二女つぎ子が、昭和五五年一一月二八日二男二郎がそれぞれ出生した。

3 原被告は、結婚当初、奈良県北葛城郡香芝町において原告の両親と同居したが、被告の激しい性格から数か月後には原告の両親との折合いが悪くなつて同居生活を送ることが困難になり、また、原被告の性格には著しい相違があるため、原被告間には結婚当初から口論や不和が絶えない状態が続いた。

4 被告は嫉妬心が異常に強く、歯科医師である原告が職業上使用しなければならない看護婦についても、原告との間を執拗に疑つたりするので、原告は少なからず精神的苦痛を受けてきた。

5 原告は、歯科医師として仕事上細かな神経を使うために精神的疲労も大きいが、被告にはそうした原告への思いやりがほとんどなく、疲れて帰宅する原告を少しでも慰安しようとする努力や態度が見られない。また、被告には自己本位の気ままな行動が多く、原告や子供のための食事の仕度さえしなかつたり、気が向かなければ何日も掃除、洗濯等をしないということが幾度もあつて、婚姻生活における妻としての扶助協力を果さないことが少なくなかつた。そして、原告が被告のこうした点を注意すると、被告は却つて激しく反抗的態度をとり、素直に理解しようともしない。

6 以上のような事情から、原告は、次第に被告に対する愛情を失い、昭和五一年五月頃からは夫婦間の会話も途絶えて意思の疎通も欠くに至り、原告としてはもはや被告との婚姻を継続してゆく意思を喪失し、原被告間の婚姻関係はすでに回復の余地がないまでに破綻している。

7 更に、被告は、昭和五六年一一月頃から精神異常の行動をとるようになり、昭和五六年一二月一二日から昭和五七年五月一一日まで幻覚妄想状態のため静岡県清水市内の日本平病院に入院したのち、昭和五七年七月五日からは三重県内の病院に現在に至るまで入院しており、回復の見込みは極めて乏しい状態にある。

8 したがつて、原告には民法七七〇条一項五号、四号所定の離婚原因がある。

9 原被告の離婚の際における前記未成年の子四名に対する親権者には、健康で資力にも不安のない原告を親権者にすることが、子の幸福のために相当である。

10 よつて、原告は被告に対し、請求の趣旨記載のとおりの判決を求める。

二  請求の原因に対する認否

1 請求の原因1、2の事実はいずれも認める。

2 同3のうち原被告が結婚当初原告の両親と同居したこと、被告と原告の母との折合いが悪かつたこと、原被告間に夫婦喧嘩が絶えなかつたことはいずれも認めるが、その余の事実は否認する。

3 同4のうち原告が歯科医師であることは認めるが、その余の事実は否認する。

4 同5の事実は否認する。

5 同6の事実は否認ないし不知。

6 同7のうち被告が精神病のため原告主張のとおり入院し、また現在も入院中であることは認めるが、その余の事実は否認する。

7 同8、9の事実はいずれも争う。

(反訴)

一  請求の原因

1 本訴請求の原因1、2に同じ。

2 原被告は、結婚当初、奈良県北葛城郡香芝町において原告の両親と同居したが、被告と原告の母との折合いが悪く、それが原因となつて夫婦喧嘩が絶えず、そのために原告は被告に暴力を振い、被告が耐え切れずに実家に逃げ帰つたこともあつた。

3 原被告は、昭和四四年七月二七日、静岡県富士宮市に移転したが、原告はことあるごとに被告が原告の母とうまくいかなかつたのはすべて被告の責任であると責め続けた。そして、夫婦喧嘩になれば、原告は被告に暴力を振い、電気コードで被告の首を締めたり、突き飛ばして眉を切つて出血させたり、包丁を投げつけたこともあつた。被告は、原告の右仕打ちに耐え切れず、昭和四八年一二月八日自殺をはかつたが、被告の父の来訪により一命を取りとめた。

4 被告は、四児を出産したほか、昭和四七年に二女つぎ子を出産したのち昭和五五年二男二郎を出産するまでの間に五、六回の妊娠中絶をした。被告は、二女の出産後、眩暈、腰痛、頭痛などの身体の不調が続いたが、原告は育児に追われる被告を顧みることなく、温かい言葉をかけることもなかつた。

5 原告は、結婚後、再三にわたり海外旅行に出かけ、韓国、台湾などで少くとも三回にわたり売春の客となり、不貞行為を行なつた。

6 原告は、昭和五一年、一方的に家を出て別居を開始したが、被告に対して少額の生活費を渡すのみであつたので、被告は内職をしながら子育てをした。原被告は、その後昭和五三年に再び同居するようになつたが、昭和五六年に至り、原告の診療所の建築について原被告の意見が対立し、原告は再度約一か月家を出て生活した。

7 被告は、昭和五六年六月、原告に対し、原告が診療所の隣の寿司屋に下着姿のまま上がり込んでいるのを注意したところ、原告は、逆にこの注意に激昂して金剛杖で被告を数回殴打した。その後しばらくした昭和五六年一〇月頃から、被告は心身に変調をきたし始めたが、原告は、被告のことを思いやることもなく、被告を被告の父乙野修方へ連れ帰つて、一方的に「様子がおかしい、預かつてくれ」と告げて被告の看護を放棄した。

被告は、奈良医大精神科において約二週間治療を受けて回復し、原告方へ戻つた。しかし、その直後再発して、昭和五六年一二月二一日、日本平病院に入院した。被告は、昭和五七年五月一一日に同病院を退院したが、原告は被告を被告の父乙野修方に病院から直接連れ帰り、「自分はやつて行く気がない。離婚届に印を押してくれ、押してくれなかつたら法的手続をとる」旨一方的に告げて、病み上がりの被告を預け、以後、被告の看護はもとより、生活費や治療費の支払もせず、配偶者としての一切の義務を放棄している。

8 したがつて、被告には民法七七〇条一項一号、二号、五号所定の離婚原因がある。

9 以上のとおり、被告は原告の有責行為により離婚を余儀なくされたものであるから、原告はこれにより計り知れないほどの精神的苦痛を受けた被告に対し慰謝料を支払う義務があるというべきところ、その慰謝料は五〇〇万円が相当である。

10 ところで、原告は別紙物件目録(一)ないし(七)記載の土地建物(以下「本件(一)ないし(七)の土地建物」という。)を所有し、ゴルフ会員権三個を有している。右土地建物の価額は合計五六二九万九〇〇〇円であり、ゴルフ会員権のうち富士宮ゴルフクラブの会員権は時価四〇〇万円ないし四五〇万円の価値がある。右財産は、被告が結婚後十数年間にわたり、家事や子育てを分担することにより得ることができたものであり、被告の内助の功による寄与は大きい。更に、被告は現在も入院中であり、将来自分の収入による生活を営むことは困難であることが予想されるので、離婚に際しては原告から被告に対し三〇〇〇万円を分与するのが相当である。

11 よつて、被告は原告に対し、請求の趣旨記載のとおりの判決を求める。

二  請求の原因に対する認否

1 請求の原因1の事実は認める。

2 同2のうち原被告が結婚当初原告の両親と同居したこと、被告と原告の母との折合いが悪かつたこと、原被告に夫婦喧嘩が絶えなかつたことはいずれも認めるが、その余の事実は否認する。

3 同3のうち原被告が昭和四四年七月二七日に富士宮市に移転したこと、被告が昭和四八年一二月八日自殺をはかつたことはいずれも認めるが、その余の事実は否認する。

4 同4のうち被告が四児を出産したことは認めるが、その余の事実は否認する。

5 同5の事実は否認する。

6 同6のうち原告が家を出て別居を開始したこと、昭和五三年に再び同居したことはいずれも認めるが、その余の事実は否認する。

7 同7のうち被告が心身に変調をきたしたこと、被告が昭和五六年一二月二一日に日本平病院に入院し、昭和五七年五月一一日退院したこと、原告が被告を被告の父乙野修方へ連れて行つたことはいずれも認めるが、その余の事実は否認ないし不知。

8 同8、9の事実はいずれも争う。

9 同10のうち原告が本件(一)ないし(七)の土地建物を所有していることは認めるが、その余の事実は否認する。

原告には多額の負債があり、約一〇〇〇万円の地方税も滞納している状態であり、右土地建物を所有していても実質的にはその名目のような大きな価値はない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一原被告の各離婚請求について

〈証拠〉及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。すなわち、

1  原告(昭和一五年七月一二日生)は、昭和四〇年歯科医になり、実家のある奈良県内において開業していたところ、原告の診療所に患者として治療を受けにやつて来た被告(当時は乙野姓。昭和二一年八月三日生)と知り合い、恋愛のうえ、昭和四四年五月二三日婚姻の届出をした。

2  原被告は、結婚当初、奈良県北葛城郡香芝町の原告の実家で原告の両親と同居生活を営んだが、被告と姑にあたる原告の母との折合いが悪く、それが原因となつて夫婦喧嘩が絶えず、学生時代に相撲の選手をしたこともあり腕力のある原告が些細なことをきつかけに激昂して被告に対し激しい暴力を加え、被告がその姉の嫁ぎ先に逃げ込んだこともあつた。

3  原被告は、婚姻後二か月ほどした昭和四四年七月下旬、被告と姑との仲などについて中傷の投書を受けて原告の実家に居ずらくなつたことと被告と姑間の折合が改善されず、依然としてうまくいかなかつたことから、原告の両親と別居することを決意し、静岡県富士市で歯科医を開業している原告の友人から診療所勤務の歯科医の仕事を紹介してもらつたので、同市に隣接した同県富士宮市に移転し、同所において借家住いをしながら、原告は他人経営の歯科診療所で勤務歯科医として働くようになつた。

原被告が富士宮市に移転する前日、被告の長兄乙野徳治が原告に対し、「もし、被告が原因で、原告の仕事や生活に支障をきたすようなことがあつたら自分が責任を持つ」との趣旨を申し述べたことがあつたが、徳治の右発言は、原被告夫婦が富士宮市に移転することになつた主因が被告と姑との折合いが悪かつたことにあるのを知つていた徳治が、被告の長兄としての立場から、道義上そのように努力するとの趣旨でなされたものであり、誓約書その他の書面は作成されなかつた。

4  被告は、男三人女四人兄弟姉妹の末子として生まれたものであり、甘えん坊のところがある反面、やや気の強い性格であり、富士宮市に移転したのちには姑との折合い問題はなくなつたが、見ず知らずの土地にやつてきた物淋しさからその事を口に出して不満を言つたり、また、食事の仕度などの家事を怠ることがあり、こうしたことが原因でその後も夫婦喧嘩が絶えなかつた。原告は、夫婦喧嘩になると最初は冷静でもすぐに「かっ」となる短気のところがあり、電気コードで被告の首を締め、意識朦朧の状態にさせたこともあつた。

原告は、昭和四六年、勤務歯科医をやめ、独立して富士宮市宮町で歯科診療所を開業し、同年六月本件(一)ないし(四)の土地(以下「北町の土地」という。)を購入したのち、昭和四七年九月右土地上に本件(五)の建物(以下「北町の建物」という。)を新築し、その頃、家族一同で借家から現在自宅に使用している右建物に移り住んだ。右土地購入資金、建物建築費の大半は銀行からの借入金で支払がされたが、土地購入のための借入金は昭和五五年七月頃に、建物建築のための借入金は昭和五七年一一月頃に返済された。

5  被告は、原告との間に、昭和四五年一月三〇日長男一郎を、昭和四六年七月一九日長女かず子を、昭和四七年一〇月二五日二女つぎ子を、その後昭和五五年一一月二八日二男二郎を出産したほか、二女出産後昭和五五年中までに数回妊娠し、中絶をした。

被告は、右のように長男、長女、二女の三児を続けて年子で産み、相当の体力を消耗し、また、育児、家事に忙殺され、肉体的、精神的に休む間がほとんどなくなるようになつた。被告は、殊に二女を出産したのち頃から、立ちくらみをしたり、生理痛がひどくなつたりして、体調が悪いとの自覚は持たなかつたが、身体がいうことをきかないことがあるようになり、そのため、たびたび寝込んで育児、家事をできなかつたり、寝込むことまではなくても、育児、家事をする気になれず、結果としてこれらを放置することがあり、やむなく原告が代つてしたことがあつた。被告は、こうしたときに原告から「どうしたのか」と理由を尋ねられたことがあつたが、病気とは自分自身で思つていなかつたので、ほとんど黙つて理由らしい理由を述べず、そのため、原告は、被告が育児や家事を怠ることがあるのは被告の気まぐれによるものと軽信して決めつけた。原告は、このように被告の育児や家事に必ずしも充分でない点のあることが非常に不満であり、被告に対して「お前は寝てばかりる」と怒鳴つて被告を突き倒して眉を切つたことがあるほか、昭和四八、九年頃、お節料理を作るように言われた被告が育児に追われて忙しくてできない旨弁解したのに立腹し、餅を切つていた包丁を突差に投げつけ、右肘を負傷させたことがあり、被告は昭和四八年一二月、たまたま来訪した被告の父に発見され一命を取り止めたものの、夫婦喧嘩が原因で自殺をはかつたこともあつた。

6  原告は、前記のように独立して開業するようになつたのち、昭和四七年二月から昭和五六年六月頃までの間、前後六回にわたり海外旅行に出かけ、そのうち昭和四七年に韓国へ、昭和四八年九月に台湾へ、昭和五六年四月に韓国へ行つた際、現地で売春の客になり、帰宅後そのことを分かる程度に被告に話したことがあつたが、被告がそのことで原告を責めたり、非難したようなことはなく、被告は昭和五一年六月から昭和五二年一〇月までにかけてなされた後記離婚調停において原告の離婚要求に応じなかつた。

7  被告には、世間知らず又は幼稚な一面があり、被告は、昭和五〇、一年頃、原告と原告が歯科診療の業務上使用している未婚の看護婦との仲をさしたる根拠もないのに疑い、原告の仕事場である診療所に乗り込んでその看護婦を売春婦呼ばわりする軽率な行動に及び、大騒ぎを起したことがあつた。

こうしたうち、原告は、被告との離婚を決意し、昭和五一年六月、静岡家庭裁判所富士支部に離婚調停を申し立て、数回の調停期日が開かれたが、被告の反対のため話合いがつかず、右調停は昭和五二年一〇月五日頃不調に終つた。原告は、その頃、ひとりで北町の自宅を出て、昭和四七年頃購入した富士宮市穂波町所在のマンションの一室に移り住んで被告と別居したが、その後、原告の母が死亡し夫婦で葬儀に出席しなければならなかつたことなどから翻意して昭和五三年に至り被告の許に戻つて再び同居生活を始め、その後、昭和五五年一一月二男が生まれた。右別居期間中、原告は、一か月分を除いて概ね月額二〇万円ないし三〇万円の生活費を被告に渡していたが、被告も一時内職をしながら子供を育てた。

8  原告は、被告と再び同居を始めてからしばらく経つた昭和五五年七月本件(六)の土地(以下「源道寺の土地」という。)を購入したのち、昭和五六年一〇月右土地上に診療所である本件(七)の建物(以下「源道寺の建物」という。)を新築し、同所で歯科医の開業を続け、現在に至つている。

その間の昭和五六年五月、被告が、離婚した女性の経営している原告の診療所近くの寿司屋に下着姿で上がり込んで休息していた原告に世間体が悪いのでやめるように注意したことに対し、原告が自分に恥をかかせたといつて激しく反発し、棒を持つて逃げる被告を追い回し、右棒で被告を乱打し、負傷させたことがあつた。

そうしたのち、被告は、昭和五六年一〇月頃から心身に著しい不調をきたし始め、その頃、高速道路で夜間自動車を運転していて運転不能の状態に陥り、当局に保護され、連絡を受けた原告が迎えに行つたところ、何を言つているのか訳が分からない状態であつたということがあつた。原告は、その翌日、被告が昨日の出来事も覚えていないような状態であつたが、被告の健康状態に無頓着で病気であるとは思わず、医者の許に連れて行くことをしなかつたが、生後まもない二男を伴つて被告を奈良県大和高田市の被告の実家に連れて帰り、被告の父乙野修に対し「しばらく預かつてほしい」旨申し述べて被告らを置いて帰つた。

9  こうして、被告は、実家でしばらく静養することになり、奈良医大に通院したりした結果、一見快方に向かつたので、昭和五六年一二月頃、長兄の乙野徳治に付き添われて二男と一緒に富士宮市の原告の許に帰つた。

しかし、帰宅後まもなく被告の精神異常が再発し、被告は夜間裸で戸外に飛び出し「キャーキャー」と騒ぐという異常な行動を起したものであり、そのため、原告はその翌朝になつて知人の医者に被告を診せたのち、昭和五六年一二月二一日静岡県清水市内の日本平病院に被告を入院させ、被告は幻覚妄想状態なる病名で昭和五七年五月一一日まで同病院に入院した。

原告は、被告の右入院中、歯科医師としての仕事のかたわら、男手ひとつで四児の育児や家事などに当たつてきたものであり(ただし、時期は不明であるが、その後、月に二〇日位、手伝いの女性に来てもらうようになつた。)、多忙であることもあつたが、その間に被告との離婚を決意して、見舞を一回しか行かず、被告の医療費の支払いをせず、被告に生活費を渡すこともせず、被告が同病院を退院するに際しては、自宅ではなく、被告の実家に連れて帰り、居合せた被告の父乙野修に対して離婚訴訟を提起する意思であることを申し述べた。

10  被告は、その後昭和五七年七月五日、三重県上野市内の財団法人信貴山病院分院上野病院に入院し、現在に至つている。被告の病名はボーダーライン(境界例)であり、現在の治療状況は、概ね病棟内では平穏に適応し、生活療法に従事しているが、現在でも自己中心的、児戯的な面があり、情動面の易変性もあり、些細なことで他患者とトラブルを起こすことがあり、更に動作緩慢で意欲減退、感情鈍麻、無為自閉等のいわゆる陰性症状が表面化しており、思考内容の浅薄性等も認められる状況であり、今後の回復及び退院の見込みについては今後なお当分の間強力な生活療法を要するものと考えられる状態であつて、退院の見込みは不明である。

入院中の昭和五九年七月一三日、被告に対する本人尋問が実施されたが、被告はその際、関係者の質問に対し、原告との婚姻生活について整然かつ詳細な供述をしている(なお、原告は被告の精神状態についての鑑定を申請せず、本件では被告に対する鑑定はされていない。)。

被告は、原告の本訴離婚請求に対し、当初それを争う態度に終始していたが、その後、昭和五九年九月二五日、本件反訴離婚請求訴訟を提起し、自らも原告との離婚を求める意思を明確にした。ただし、子の親権者指定の申立はしていない。

11  原告は、被告が前記のとおり日本平病院を退院し、その後、前記上野病院に入院するようになつたのちも引き続き現在に至るまで四児の養育監護にあたり、主に歯科医業で得る収入によつて就学させてきたものであり、現在、長男は高校三年生、長女は高校一年生、二女は中学三年生、二男は小学一年生であつていずれも原告が学費を支弁して通学させている。

ところで、原告は事業所得者として相当以前より所得税の確定申告をしているはずであるが、書証としては昭和五九年分所得税の確定申告書控しか提出されていないので、同年以外の所得状況は必ずしも明確ではないが、少くとも昭和五九年の収入は約三二三一万円、経費を差し引いた所得は約七四四万円であり、昭和六〇年の所得は昭和五九年のものより少いが、昭和六一年の所得は九〇〇万円ないし一〇〇〇万円位である。一方、原告は、源道寺の土地建物の購入、建築に要した資金四二〇〇万円全額を銀行から借り入れ、多いときで月額元利合計八七万円位を返済し、昭和六三年一一月に完済の見込みであるが、現在も月額元利合計五五万円の返済を続けており、また、昭和五九年五月二七日当時において昭和五四年第二期分以降の県市民税及び昭和五六年第一期分以降の固定資産税として延納金を含め合計一三二八万円を滞納し、現在でも約一二〇〇万円を滞納している。原告は、昭和四七年頃に購入した前記マンションの一室を自宅取得後も所有し続けていたが、昭和五七、八年頃に至り四七〇万円位で処分し、また昭和四七、八年頃に合計四八五万円でゴルフ会員権三個を取得し、本訴提起後に至るまで保有し続けていたが、昭和五八年頃から昭和六一年五月頃にかけ、三回にわたり、合計六九〇万円で処分し、これらによつて得た金員を借入金の返済や人件費の支払などに使用した。

12  原告は、前記のように被告が日本平病院に入院中に医療費、生活費を支弁しなかつたほか、同病院を退院して被告の実家に一時戻つたのを経て再び前記上野病院に入院して現在に至つている被告に対し医療費、生活費を全く支給せず、被告の実家の方でこれらの費用を負担している。殊に、原告は、本訴提起後に被告が静岡家庭裁判所富士宮支部に申し立てた婚姻費用分担の調停において、昭和六一年七月頃、婚姻費用分担金として二五〇万円位を分割支払うことを約し、その旨の調停を成立させ、最初に支払うことを約した五〇万円位の支払期日がすでに経過したのにその支払をも全然せず、不履行をしている。

以上の事実が認められ〈る〉。

そうして、右認定事実によれば、被告は五年以上前から現在まで精神病のため入院生活を続けているものであり、退院の見込みも不明の状態であるが、前記認定の現在の治療状況等に徴すれば今後当分の間、強力な生活療法などに努めれば回復の可能性が全くないものであるとまでは即断できず、未だ右認定事実によつては被告の精神病が強度のものであつて回復の見込みがないものとは認めることができず、また、右認定事実によれば、原告は被告との婚姻後、海外旅行先で三回にわたり売春の客になつたことがあるものであるが、その後における原告申立の前記離婚調停での被告の態度などにかんがみれば右事実は原被告の婚姻関係を決定的に破綻させる原因になつたものであるとまでは認めることができないけれども、他方、右認定事実によれば、原告は、確かに多額の債務を負担し、四児を養い、かなり窮屈な経済状態にあつたものの、相当額の所得を挙げ、一定の財産も保有してきたものであるところ、被告の入院後、五年有余の間、医療費や生活費を全く支弁しなかつたものであるから夫としての扶養義務に違反し、被告を悪意で遺棄したものであると認められ、また、右の点のほかに前記認定の原被告の性格、久しきにわたる軋轢の繰り返しなど諸般の事実を総合考慮すれば、原被告間の婚姻関係は既に破綻し、再び円満な状態に回復することを期待することができないものであると認められる。

したがつて、被告には原告との離婚を求めうる民法七七〇条一項二号、五号の離婚原因があるので、被告の反訴離婚請求は理由がある。

右に認定説示したところによれば、原告は婚姻破綻について専ら責任のある有責配偶者にあたるが、民法七七〇条は破綻主義離婚法を定めているものと解されることに同条に有責配偶者からの離婚請求を許容すべからざるものとする明文の規定のないことにかんがみれば、婚姻関係が既に破綻状態に至つている場合には、その有責配偶者の責任の態様、程度、相手方配偶者の婚姻継続についての意思及び請求者に対する感情、離婚を認めた場合における相手方配偶者の精神的・社会的・経済的状態及び夫婦間の子の監護・教育・福祉の状況などの諸般の事情を考慮したうえ、著しく社会正義に反し、信義誠実の原則に反するような特段の事情のないときには、有責配偶者からの離婚請求であつても、有責配偶者からの請求であるとの一事をもつて許容されないものではないと解するのが相当である(最高裁昭和六二年九月二日大法廷判決判時一二四三号三頁参照)。

しかるところ、前記認定事実によれば、原告は被告を悪意で遺棄したものであり、原被告の婚姻関係は原告の有責行為により破綻するに至つたものであり、また、原被告間には未成年の子四名がおりいずれも就学中であるが、かたわら、被告は、反訴を提起してまで積極的に離婚を求め、右四児の親権者の指定については、その指定を求める旨の申立をなさず(なお、被告の健康状態によれば、子の監護にあたることは不可能であると思料される。)、本件における原被告の主な対立は、離婚自体の適否ではなく、離婚に伴う被告の財産分与請求権、慰謝料請求権の存否、金額にあるものと認められるものであつて、これらの事実によれば、原告の離婚請求を認容したとしても著しく社会正義に反し、信義誠実の原則に違反するものとは認め難いから、結局、原告の本訴離婚請求も理由があるものというべきである。

二親権者の指定について

前記一認定の原被告の健康状態、従前の監護状況、子供の年齢等諸般の事情を総合考慮すれば、原被告間の未成年の前記四児の親権者はいずれも原告と定めるのが相当である。

三被告の慰謝料請求について

前記一認定の事実によれば、原告には婚姻破綻についての有責配偶者として離婚のやむなきに至つたことにより被告の蒙つた精神的苦痛に対する損害を賠償する義務があるものというべきところであるところ、右認定の婚姻破綻に至つた経緯、婚姻期間、被告の現在の境遇その他諸般の事実を総合考慮すれば、右精神的苦痛に対する慰謝料は二〇〇万円が相当であると認められる。

四被告の財産分与請求について

前記一冒頭掲記の各証拠及び鑑定人金子亘の鑑定の結果を総合すれば、次の事実が認められる。すなわち、

1  原被告夫婦にかかる財産としては、原告とその四児が現在住居に使用している北町の土地建物及び開業歯科医である原告が主に診療所に使用(一階部分を他に賃貸)している源道寺の土地建物があり、いずれも原告の所有になつている。なお、原告はもとマンションの一室を所有し、ゴルフクラブ会員権三個を保有していたが、すでに処分され、その処分代金が一定の用途に充てられたことは前記のとおりである。

2  北町の土地は昭和四七年六月代金四八〇万円で購入し、内金二〇〇万円位を原告の手持金で支払い、残額二八〇万円を銀行から借り入れて支払つたものであり、北町の建物はその後昭和四七年九月建築費六三〇万円で新築し、内金三〇万円は原告の手持金で支払い、残額六〇〇万円は銀行から借り入れて支払つたものであり、右土地購入のための借入金は昭和五五年七月までに、右建物建築のための借入金は昭和五七年一一月までに割賦返済された(ただし、右土地建物については、共同担保として極度額三〇〇〇万円の根抵当権が設定されているが、右根抵当権は後記の源道寺の土地建物取得のための借入金につき設定されたものである。)。

被告は、右借入金返済中の昭和五六年一二月精神病のため入院し、現在も入院中であるが、その頃まで主婦として育児、家事に従事してきたものであるから、右土地建物は原被告の協同によつて形成された財産というべきであるが、被告の右入院の事実に対し、原告は婚姻当時から歯科医という特殊な資格を有し、勤務医や開業医として働き相当額の所得を得て一家の生計を維持し、右借入金も比較的短期間に返済してきたものであるから、右土地建物の取得、維持については原告の才覚、努力によるところが大きい。

昭和六〇年九月時点における右土地の価額は一九〇八万二〇〇〇円、建物の価額は六七〇万六〇〇〇円(合計二五七八万八〇〇〇円)であるが、原告が前記一認定のように滞納している県市民税及び固定資産税(昭和六一年五月二七日現在で一三二八万六七八〇円)中昭和五七年第四期分までの分合計八六三万三二七〇円のうち少くとも半額にあたる四三一万六六三五円を右土地建物の負担に帰するものとして控除するとその残存価額は合計二一四七万一三六五円となる。

3  源道寺の土地は昭和五五年七月代金一八〇〇万円で購入し、源道寺の建物は昭和五六年一〇月建築費二四〇〇万円で新築したものであるが、右所要資金合計四二〇〇万円は原告が銀行から三口の住宅ローンとして全額借入し、多いときで利息を含め月額八七万円位を返済し、次第に返済額が減少したが、現在も利息を含め月額五五万円位の返済を続けており、前記三口の借入金は昭和六三年六月、一〇月、一一月に順次完済の見込みであるが、右土地建物については、前記北町の土地建物をも共同担保として銀行のため極度額三〇〇〇万円の根抵当権が設定されている。

昭和六〇年九月時点における源道寺の土地の価額は一一三一万三〇〇〇円、源道寺の建物の価額一九一九万八〇〇〇円(合計三〇五一万一〇〇〇円)であるが、被告の前記入院の事実、右土地建物のための借入金も未だ相当の残額があること、原告は前記のとおり未だ相当多額の県市民税、固定資産税も滞納していることなどにかんがみれば、右土地建物から被告に分与すべき部分はほとんど存在しないものというべきであるけれども、原告による右土地建物所有の事実は財産分与額を定めるにあたつての一切の事情のひとつとして考慮すべきものである。

4  原告の養育している前記四児はいずれも就学中であり、今後も相当の養育費用を要することが明らかであるが、被告は前記のように精神病で入院中であり、退院の見込みも不明であるので、当分の間、自立することは不可能で、引き続き相当の医療費の負担を要することも明らかであるから、離婚後における被告の生活保持についてもある程度配慮すべきである。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

そうして、右認定、判断したところ、その他本件に顕われた一切の事情を総合考慮すれば、原告が被告に対し離婚に伴い財産分与として分与すべき額は五〇〇万円とするのが相当である。

五結論

以上によると、原告の本訴離婚請求及び被告の反訴離婚請求はいずれも正当であるからこれを認容し、原被告間の未成年の子である前記四児の親権者をいずれも原告と定めることとし、被告の反訴慰謝料は二〇〇万円の限度において、また被告の反訴財産分与請求は五〇〇万円の限度においていずれも正当であるからこれを認容するが、それを超える部分はいずれも失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官榎本克巳)

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